DON脳寺の変 第19話
「…僕は…」
雨が降りしきる、誰もいない夜道。キジブラザー・雉野つよしは独り、傘もささずにトボトボと歩いていた。いや、歩いていた、と言う表現が正しいのかどうか分からないほどに足取りおぼつかなく、あっちへフラフラ、こっちへフラフラと歩いていたのだ。その体は雨でぐっしょりと濡れてしまっている。
「このままでいいのですか?」
ソノイの言葉が頭の中を何度もリフレインする。
「このままでは、あの赤いのは第六天の魔王になる。魔王になったら最後、あなた方さえも下手をすれば消されかねないのですよ?」
(…桃井さん…。…僕のこと、どう思ってるんだろう…?)
ドンモモタロウ・桃井タロウのお供として、鬼に取り憑かれた人々を救うために戦って来た。だが、それが本当に正しいことなのか、分からなくなって来た。
「…自らの意思で鬼になった、と言う人もいるのではないでしょうか…?」
他のお供達、サルブラザー・猿原真一、イヌブラザー・犬塚翼も一緒にいる時、雉野はそう言った。
「…自分の正義や、自分が正しいと思って行動をしている人が鬼になったとした場合、それを僕達が元に戻す必要があるのかな、って…。…逆に、鬼に意識を乗っ取られて暴走して、他人に危害を加えた全ての鬼を救う必要があるのかな、って…」
そう言った途端、雉野は怒り狂ったタロウに物凄い勢いで殴られていた。
「…痛ッ!!」
殴られたところがズキンと痛んだ。それだけじゃない。
「…この間…、…僕は…」
アノーニ達が街の中に出現した時、キジブラザーにアバターチェンジして戦っていた雉野。そんな雉野に向かって、タロウがドンブラスターで自身を撃って来たのだ。
「(…やっぱり、…桃井さん…が…?)…い、いやいや、そんなはずは…」
だが、普段からタロウはドンモモタロウにアバターチェンジすると性格が変わる。時には、
「オレはお供達を鍛えてやっているだけだああああッッッッ!!!!」
なんて言うこともある。
「(…僕は…、…桃井さんを…、…怒らせた…。…その証拠に、桃井さんは僕にあやまっても来ない…)…やっぱり、…桃井さんが…」
目頭がじんわりと熱くなる。
そんな時、雉野はソノイに誘われた。
「…あなたにも、鬼が取り憑いているのは間違いありません」
青い瞳のソノイが穏やかな口調で語りかけて来た。
「安心して下さい。あなたを消去するようなことはしません。あなたの波動は、我々脳人の世界の均衡を崩すようなものではありません。むしろ、我々はあなたを我々の世界にご招待したいのです」
普通の人間とは違う、どこか変わった存在と言うイメージしかない。そんな世界に、自分が住めると言うのだろうか。でも、このままでは、ソノイの言うようにタロウが第六天の魔王となり、鬼となり、この世界を支配しようとするかもしれない。そうなった時、お供である雉野達はどうなるのか。
「…え!?…待って…?」
ふと、雉野の頭の中に浮かんだ疑念。
「…まさか…。…まさか…!?」
考えたくないが、考えてしまう疑念。
「…僕の中にも…、…鬼が…いる…って…。…と言うことは…、…もしかしたら…、…桃井さんもそれに気付いてて…」
だから、タロウが雉野を撃って来た?
「…そう…、…なったら…!?」
そうなったら、自分自身はおろか、自身が愛する糟糠の妻である雉野みほを失うことになるかもしれない。
その時だった。
「…そ…、…んな…!?」
どこかの民家の壁に凭れ、ズルズルと座り込む。その瞳は大きく見開かれ、呆然と宙を見上げていた。
「…そんな…。…みほちゃんが…!?」
「…くん…。…つよしくんッ!?」
自身が愛する糟糠の妻の声が聞こえて来る。
「…は…、…はは…」
雉野は笑っていた。
「…参ったな…。…みほちゃんの声まで聞こえて来るなんて…」
それだけ、自分の精神状態が良くないのだろう。そう思った時だった。
「つよしくんッ!!」
目の前に誰かが立った。その者を認めた途端、雉野の両目からは大量の涙が溢れ出した。
「…み…、…みほ…、…ちゃん…!!」
「つよしくんッ!?大丈夫ッ!?」
這って来る雉野に声を掛け、立ち上がらせようとするみほ。
「…みほちゃん…、…みほちゃん…ッ!!」
えぐえぐとしゃくり上げ、半ば混乱したかのように何度も何度もみほの名前を呼び、みほに釣られるようにしてヨロヨロと立ち上がる。
「しっかりしてッ!!一体、何があったのッ!?」
そう言ったみほを、雉野は思い切り抱き締めていた。
「…つ…、…よ…し…くん…?」
普段と全く違う様子の雉野に戸惑いながらみほは声をかけた。
「…僕…ッ、…僕ぅ…ッ!!」
「…」
えぐえぐとしゃくり上げ、言葉が出て来ない雉野。するとみほは、
「…落ち着いてからでいいよ」
と言った。そして、雉野と向き合うと、
「…ゆっくり…。…ゆっくりでいいから…、…ね…?」
と言ったのだ。
「…みほちゃああああああああんんんんんんんんッッッッッッッッ!!!!!!!!」
そんなみほを雉野はしっかりと抱き締め、声を上げて泣いた。
「…そっか…」
どれくらい経っただろう。泣き止んだ後、雉野は全てをみほに話していた。自身がキジブラザーとしてこの世の中に潜んでいるアノーニ達や、欲望の餌食になり、鬼に取り憑かれた人達を救っていること、もしかしたら、タロウに自分の命が狙われているかもしれないこと、などなど。
「…前に、僕がみほちゃんを迎えに行った時、みほちゃんがトラックに轢かれそうになったことあったよね?あの時、みほちゃんは無事だった。それをみほちゃんは愛の力って言ったけど、本当は僕がサルブラザーにアバターチェンジして、みほちゃんを救ったんだ」
「…そう…だったんだ…」
ニッコリとするみほ。でもすぐに、
「でも、それって、やっぱり、愛の力、ってことでしょ?」
と聞いて来たのだ。
「…ま、…まぁ…。…そう…なる…ね…」
その時だった。
「…え!?」
雉野の体がビクンと跳ねて硬直する。
ドクンッ!!ドクンッ!!
心臓が大きく高鳴る。
「…いいよ…」
「…み…、…ほ…、…ちゃん…?」
みほが雉野の背中へ両手を回し、しっかりと抱き付いている。
「…あなたは…。…つよしくんは、つよしくんが信じる道を行って…!!…たとえ、それが、ご主人である桃井さんを倒すことになったとしても…」
「…みほちゃん…」
キラキラと輝く瞳で雉野を見上げているみほ。
「…それに…、…脳人の世界で生きるのも、私は構わない。…つよしくんが、生きていてさえ、いてくれれば…!!」
「…みほちゃん…ッッッッ!!!!」
その時、雉野はみほを強く抱き締めていた。
「…僕が…ッ!!…僕がッ、みほちゃんを絶対に守るからねッ!!」
その腕に力がこもる。
(…決めた…!!)
降りしきる雨の中、雉野の目が光る。
「…時は今 雨が下しる 五月かな…」
「…え?」
みほが尋ねるも、
「い、いや、何でもないよ」
と、雉野は穏やかに笑ったのだった。
(…みほちゃんは僕が守る、絶対にッ!!…たとえ…、…相手が誰でも…、…何をしても…!!)