DON脳寺の変 第29話
(…これで…、…良かったのだろうか…)
ゴウウウウンンンン、ゴウウウウンンンン…。
世界の巨匠が描き上げた名絵画の数々が掲げられた部屋。その壁も、その空間も全てがキラキラと輝き、まるでこの世のものとは思えないような感覚に陥らせる。その眩しすぎる空間の中に、雉野つよしはぽつんと佇んでいた。その目は虚ろで、それまでの狂気じみた感情は一切、見えなかった。
(…一度はみんな、仲間だったのに…)
ドンモモタロウ・桃井タロウ、サルブラザー・猿原真一、オニシスター・鬼頭はるか、そして、イヌブラザー・犬塚翼。それぞれの様々な表情が浮かんでは消え、浮かんでは消えを繰り返す。
(…僕は…。…桃井さんを…、…裏切った…)
自身の欲望と言う鬼に取り憑かれ、凶悪な鬼へと姿を変えた人間を救うために、ドンブラザーズの一員・キジブラザーとして戦って来た。
(…いいやッ、裏切ってなんかないッ!!)
メガネの奥の瞳をギュッと閉じ、ブンブンと頭を大きく振る。
(…僕がッ!!…僕が悪いんじゃないッ!!)
凶悪な鬼へと姿を変えた人間の中でも、救いようがない悪鬼になった者だっている。そんな者までもを救う必要があるのかと言うことで意見が対立した。それで雉野はタロウのもとを離れた。
「…なのに…ッ!!」
ブルブルと拳が震える。
「…なのに…ッ!!…こんなに虚しさなんて…!!」
いざ、独りぼっちになると心にぽっかりと穴が開いたような感覚になる。虚しさだけが、今の雉野を包み込んでいた。
「どうしました?」
コツ、コツ、と静かに足音が聞こえ、雉野はギクリとなってその方向を物凄い勢いで振り返った。
「…ソッ、…ソノイ…、…さん…ッ!?」
青い瞳の脳人の住人・ソノイ。穏やかそうに見えるその瞳の奥に、冷酷な眼差しが見え隠れしていた。
「…あ…あ…あ…あ…!!」
思わず震え上がる。だが、そんな雉野を見て、ソノイはフッと笑うと、
「そんなに怖がらないで下さい。別にあなたを消そうとは思っていませんよ」
と言った。
「…あなたは…。…これからは、私の手となり足となって働いていただくのですから…!!」
その言葉に、
「…な…ッ、…何…だっ…て…!?」
と絶句する。
「あなたをここにお招きしたのは、私の野望を叶えて頂くためです」
「…あ…、…あなたの…、…野望…!?」
「はい」
静かに、だがとても低い声で言うソノイ。
「…私の野望は…。…この腐り切った人間の世界を、穏やかな、静謐の世界にすること。そのためには、欲望を抱えた人間など、不必要。他人に危害を加えるほどに凶悪な意志を持った鬼はこの世から消去しなければならない」
そこまで言うと、ニッコリと微笑み、
「…これは、雉野さん。あなたと同じ意見でしたよね?」
と、雉野に確認するように言った。
「…そ、…そう…、…だけど…」
「何をそんなに怯えているのですか?」
視線がきょときょとと忙しなく動き、顔中に大量の汗を噴き出している。
「…ああ…」
ソノイは何かを理解したかのように苦笑すると、
「すみません。言い方が悪かったですね」
と言った。
「あなたに、私の手となり足となり、働いてもらう、と言うのはいささか言い方が間違っていました。…それでは、あの赤いの、…ドンモモタロウと何ら変わりませんね…!!」
「…ッッッッ!!!!」
ズキンッ!!
ドンモモタロウと言う言葉が出た時、雉野は胸が痛んだ。
「…でも…。…もう、あなたにはどこにも行き場がないのですよ?…ドンモモタロウが死に、そのお供だったオニシスターも死んだ。…そして、サルブラザーは戦線離脱、そして、イヌブラザーももうすぐソノニによって消される…」
「もうッ、止めてくれええええええええッッッッッッッッ!!!!!!!!」
思わず叫んでいた。
「…分かってるよ…。…僕にッ、…行き場がないことなんて…!!」
ブルブルと拳が震え、目から涙が零れ落ちる。
「…今更だけど…。…僕はあの人達が大好きだった。…桃井さんも、確かにお供のことを労わったり、褒めたりすることはなかった。…でも、あの人にはあの人なりの考え方があって、それに、生まれて来た環境もあってああなったんだ!!…僕は…、…僕は…ッ!!」
その時だった。
「もういいじゃない、つよし君」
聞き慣れた、今、一番聞きたかった声が聞こえ、雉野の目からは堰を切ったように涙が溢れ出した。
「…みほ…、…ちゃん…!!」
糟糠の妻・みほが静かに微笑んでいる。
「…そんなに自分を責めないで、つよし君。…あなたは頑張ったんだから…!!」
そう言うと、みほは静かに雉野に抱き付いた。
「…これからは…、…あなたとソノイさんでこの世界を変えて行くの。…この世界から戦争をなくし、この世界を浄化するのよ…!!」
「…雉野さん…」
ソノイが静かに微笑む。そして、雉野の肩に手を置いた。
「…私には、あなたの力が必要なのです」
「…僕の…、…力…?」
「ええ。あなたのその優しさと、その知識と、その冷静な判断力です。その力を使って、私を導いて下さい…!!」
「…僕が…、…導く…?」
ポウ…。
その時、雉野はふわりとした感覚を覚えていた。
「…あ…、…れ…?」
意識が遠退きそうになる。頭がぼぉっとして、目の前にいるみほが静かに微笑んでいるのが見える。
「頑張って、つよし君ッ!!これからが、人生の本番なんだから!!」
その目が赤く、妖しく光ったように見えた。
「…み…、…ほ…、…ちゃん…?」
ドクンッ!!
その瞬間、雉野の心臓が大きく高鳴り、何かが体の中に入り込んで来るような感覚がした。
「…出来るよね、つよし君?」
みほがニッコリと微笑んでいる。だが、その瞳の奥にはどこか冷たく、おぞましい感情が渦巻いていた。そんな感情に、当然、雉野は気付かない。
「…う…、…ん…」
その時、雉野の全身から力が抜け、両腕がだらんと垂れ下がった。
「…僕…、…が…。…この…、…世界…を…、…作り…、…変える…」
「…ククク…!!」
その光景を見て、ソノイが低く笑った。その青い瞳を冷酷に輝かせながら。
「…さすが獣人。人間の心を操るのが本当に上手い。…末恐ろしいヤツになりそうだ…」
そう言ったかと思うと、
「…さて…。…ではそろそろ、ソノニのもとへ行くとしようか…」
と言うと、ニヤリと口元を歪ませた。
「…そろそろ、ソノニがイヌブラザーを消去している頃だろう。…そして、イヌブラザーがいなくなったところで私が登場し…」
その目がギラリと光った。
「…ソノニを、消去する…!!…そして、…私が理想とする世界が構築されるのだ…!!」