災魔の誘惑 第2話
突然、目の前に現れた男。
「…な…」
ショウは思わず言葉を失っていた。
スーツ姿のその男は痩せ形で、髪はやや薄くなっているように見える。真っ黒な丸いメガネを掛け、鼻の下には中世の貴族かと思わせるほどの、触角のような長い髭を蓄えていた。
(…コイツ、…どこかで…)
その男の姿に、どこか見覚えがあった。それがいつだったかは思い出せない。
「…な、…何か用ですか?」
足や体の痛みを堪えながら、ショウはその男につっけんどんに尋ねた。するとその男は舐めるようにショウの体を上へ下へと見つめる。ニヤニヤと不気味な笑みを浮かべて。
(…うわ…!)
その瞬間、ショウの全身に鳥肌が立ったのが分かった。
「…ククク…!!…あなたの体付き、…全く申し分ないですよ…!!」
「…だッ、誰なんだよッ、お前はよォッ!!…は、初めて会って、そんなことを言うのは失礼なんじゃねえのかよッ!?」
思わずカッとなって怒鳴ってしまった。だがすぐにショウははっとなって、
「…す、…すみません…」
とその男に向かってあやまった。するとその男は、
「いえいえ、お気になさらず。私こそ、名乗るのが遅れ、申し訳ない」
と言うと、スーツの裏ポケットから名刺入れのような小さなものを取り出し、
「私はこう言う者です」
と、そのカードを差し出した。
「…株式会社ル・ピエ…?…代表取締役・司従栄…?」
訝しげにその男を見上げると、その男はニヤリと笑い、
「はい。私の苗字は“しじゅう”、名前を“さかえ”と言います。ちょっとした会社の取締役です」
と言った。
「…そ、…そんな社長さんが、オレに何の用?」
相変わらずつっけんどんに言うショウ。すると司従は、
「まぁ、立ち話でも何ですから、私の事務所へ行きませんか?」
と言うとショウに近付き、
「あなたにとっても、損はない話だと思いますがね」
と付け加えた。
「…な…、…え…?」
ショウが何か言いかけた時、司従はクルリと踵を返すと、スタスタと歩き始めた。
「んまッ、待てよッ!!」
スタスタと距離を広げて行く司従の後を、ショウは慌てて追い掛けた。
閑静な住宅街の一角の古びたビル。
「…どうぞ…」
ガチャリと鉄の扉を開けると、ギギギッ、と言う耳を覆いたくなるほどの軋み音がした。
「…さぁ…」
司従は扉を開けたまま、静かにショウを見つめている。口元には相変わらずニヤニヤと不気味な笑みを浮かべて。
「…あ、…あぁ…」
呆気に取られながら、ショウはその部屋へ足を踏み入れた。
(…ここが、…会社…?)
パイプ椅子に腰掛け、グルリと見回す。会社と言うわりには室内には殆ど何もない。あると言えば、応接セットと、撮影用のグリーンバックと、その目の前には大きな鉄のベッドがあるだけだ。
「私の会社はね、いわゆる、アダルトビデオを制作しているのです」
司従が静かに語り始める。
「しかも、通常のルートでは出回らないような、特殊なものを…!」
「…特殊な…、…もの…?」
嫌な予感がショウの脳裏を過ぎった。
「あなた、随分といろいろ困っていましたよね…」
司従の目がギラリと光ったような気がした。
「巽ショウ君。…いや、…ゴーグリーン…」
次の瞬間、ショウはけたたましい音を立てて椅子を後ろへ倒し、司従を睨み付けるようにしていた。
「…お、…お前…ッ!!…一体、何者だ…ッ!?」
カッとなりやすいショウ。思わずファイティングポーズを取っていた。だが、司従は穏やかに笑うと、
「私はごく普通の人間ですよ。あなたがゴーグリーンであることくらい、街中の者が知っていますよ?」
と言った。
「…あ…」
その言葉が腑に落ちたかのように、ショウは声を上げ、
「…そう…だった…」
と言うと、自らが倒した椅子を元通りにし、腰掛け直した。
「…それで…、…オレに何をしろと?」
ショウが尋ねると、司従は、
「あなたにビデオに出演いただきたいのです」
とさらりと言ってのけた。その途端、
「はああああああああッッッッッッッッ!!!!!!??」
と、ショウは素っ頓狂な声を上げ、再び椅子を蹴倒していた。そして、顔を真っ赤にして、
「…んな…ッ、…な…ッ、何言ってんだよッ!?…オッ、…オレは公務員だぜッ!?…そッ、…それに、ゴーグリーンなんだぜッ!?…ちッ、…地球を守るヒーローがッ、…そッ、そんないかがわしいものに出られるかああああッッッッ!!!!」
と、一気にまくし立てた。だが、司従は穏やかに笑って、
「心配はありません。さっきも言ったが、私の会社が製作するアダルトビデオは通常のルートでは出回らないようなものなのですから」
と言うとショウのすぐ傍へ歩み寄る。そして、黒く丸いメガネの奥の瞳をギラリと光らせ、
「…いわゆる、裏ルートって言うものですよ」
と言った。
「だから、あなたがそのようなものに出演していることなど、それを見る者しか知り得ない情報なのです」
司従はショウの肩をぽんと叩き、
「そう言ったルートでアダルトビデオを見る方は、特殊な嗜好の方が多いのですよ」
と言い、
「あなたのような、地球を守るヒーローが喘ぎ、艶めかしい姿を見せるところを、ね!」
と言うと、ショウの2本の足の付け根部分をちょんちょんと叩くようにした。その途端、
「あッ!!」
とショウは体をビクリと跳ねらせる。そして、みるみるうちに顔を真っ赤にし、
「なッ、何しやがんでええええッッッッ!!!!!!??」
と怒鳴った。だが司従は相変わらず穏やかな笑みを浮かべ、
「あなたがもし協力をしてくれる、としたら…」
と言うと、応接セットの前にあるデスクの引き出しを開け、
「1本につき、このくらいの報酬はいかがでしょう?」
と、福沢諭吉が印刷されている札束を1束取り出した。
「…ッ!?」
その両に思わず目を見開くショウ。すると司従は、
「悪い話ではないと思うのですがね…。君もいろいろ随分とお困りだったはず…」
と勝ち誇ったように言った。
「…う…、…うぅぅ…!!」
ショウの目は大きく見開かれ、握り締められた拳がブルブルと震えている。と、次の瞬間、
「…ふッ、ふざけんなああああああああッッッッッッッッ!!!!!!!!」
と怒鳴っていた。
「…だッ、…誰がそんな汚ねぇ金なんかをもらうかよッ!!…オッ、…オレは自分のやり方で金くらい何とかすらああああッッッッ!!!!」
はぁはぁと荒い呼吸をし、目を血走らせているショウ。すると、司従はがっかりした様子で、
「…そうですか…。…それは…、…残念ですね…」
と言うと、
「せっかくのいい企画だと思ったのですが…。…あなたも、楽にたくさんのお金を稼げるのに…」
と目を落とした。
「…か、帰るッ!!」
ショウはそう言うと、ズカズカと重い扉に近付き、あの耳を覆いたくなるほどの軋み音を上げて開けると、その部屋を飛び出して行った。