毒牙 第1話
ピピーッ!!
ギラギラと照り付ける太陽。その下で煌く水飛沫。大勢の水着姿の若い男女がプールの中でその肢体を動かし、バシャバシャと言う大きな音を立てている。
「よおしッ!!今日はここまでッ!!」
その様子を見守っていたジャージ姿の男が声を上げる。あどけない顔付きに丸い眼鏡。オドオドとした様子で、次々にプールサイドへ上がって来る若い男女を見送る。若い男女は目をキラキラと輝かせ、体中から滴る水を払いながら建物の中へと入って行く。
「風邪を引かないようになあッ!!」
その男が声をかけると、男子はニッコリと笑い、女子は色めき立つ。
「…えっと…」
やがて辺りが静かになると、その男はプールサイドに散らばっている道具を片付け始めた。
「…んしょ…」
ビート板を数枚重ね、ヨロヨロとした足取りで建物の中へ持って行こうとする。
その時だった。
ツルッ!!
突然、足を滑らせると、
「…うわ…!!」
と短い声を上げた。目の前の景色が一気に変わって行く。前が見えないほどに高く積み上げたビート板から一転、眩しい青空が視界に飛び込んで来た。そして、
「うわああああああああッッッッッッッッ!!!!!!!!」
と言う大きな悲鳴を上げた。
バッシャアアアアンンンンッッッッ!!!!
プールサイドの水溜りに足を滑らせ、その水溜りの中へ派手にひっくり返った。そして、積み上げていたビート板は派手に宙を舞った。
「…あ…、…痛っ…た…あ…!!」
ゴツン、と言う音と共に後頭部を打ち、目から星が飛び出る。
「…ふぅぅ…」
ポタポタと水滴が頭から滴る。そんな中、大きな溜め息を吐く。その目に涙が滲む。
その時だった。
「引間先生ええええええええッッッッッッッッ!!!!!!!!」
大きな声が聞こえた時、先生と呼ばれたその男・引間の前に一人の男子が飛び込んで来た。
「大丈夫ですかッ、先生ッ!?」
水着だけの姿。日焼けし、うっすらと筋肉の付いた体。その両肩にはバスタオルが掛けられている。そんな彼が心配そうに引間と呼ばれた男を抱き起こした。
「…あ…」
引間は眼鏡をクイッと上げ、じっとその水着だけの男子を見つめた。
「…浜…、…君…、…だったっけ?」
「そうですッ!!浜、洋平ですッ!!」
ニッコリと微笑む洋平。
「先生、大丈夫ですか?」
「…あ…、…ああ…」
「あぁあぁ。ジャージがベタベタになっちゃってるじゃないですか!!」
そう言いながら、洋平は肩にかけてあったバスタオルでその男の頭をくしゃくしゃと拭き始めた。
「…ちょ…ッ!!…はッ、浜君ッ!?」
顔を真っ赤にし、驚いて洋平を見つめる引間。すると洋平は、
「んもうッ!!先生ってば、滅茶苦茶、かわいいんですけどッ!!」
と、悪戯っぽい笑みを浮かべて引間の頭を拭き続ける。
「…やッ、…止めろよッ!!」
「とか何とか言って、本当は滅茶苦茶、嬉しいくせにッ!!」
「こッ、こらッ、浜ッ!!おッ、大人をからかうなよッ!!」
「大人って言ったって、4つしか変わらないんでしょ?」
そうなのだ。
この男・引間(いんま)は洋平が通学している都立武蔵野学園高校にこの春に赴任した新米教師なのだ。高校生にも見えるその男。普段はスーツ姿なので、何とか大人に見える。だが、ジャージなどに着替えると一気に若返ったかのように幼く見えるのだ。それゆえ、男子からも女子からもかわいいかわいいと連発されるのだ。
「…うう…ッ!!」
丸い眼鏡の奥の瞳が潤む。それを目敏く見つけた洋平は、
「やべッ!!」
と声を上げ、俄かに顔を真っ青にした。
「…ごッ、ごめんなさいッ、先生ッ!!…オッ、…オレ…」
「…ああ…、…大丈夫…」
引間は顔を綻ばせると、目に溜まった涙をグイッと拭った。
「…正直、コンプレックスなんだよね…」
引間はポツリと零す。
「どこに行っても年相応には見られない。憧れだった教師になったとは言え、授業で生徒になめられるんじゃないか、言うことを聞かないんじゃないか、って…」
「…先生…」
「…って、自分の生徒に対して何を言ってるんだろうね、僕は…!!」
そう言うと、引間はニッコリと微笑み、
「…このこと、誰にも言わないでくれな?」
と言った。
「大丈夫ですッ、先生ッ!!」
突然、洋平が大きな声で引間に言った。その目がキラキラと輝いている。
「この学校には、先生を不安にさせるようなヤツはいませんよ!!みんな、いいヤツばかりだし。それに、先生、オレらの中で人気者なんですよ?」
「…え?」
きょとんとする引間。すると洋平はニッと笑い、
「そのかわいさで、オレら、みんなぶち殺されてますッ!!」
と言った。
「…な…ッ!!」
その言葉を聞いた途端、引間は俄かに顔を真っ赤にした。そして、
「…だッ、…だからッ、大人をからかうなああああああああッッッッッッッッ!!!!!!!!」
と叫び、両腕を振り回す。
「あはははははははは…ッッッッッッッッ!!!!!!!!」
洋平はぴょんと背後に飛び退くと、笑って引間の腕から逃れる。
その時だった。
「洋平ええええッッッッ!!!!」
建物の中から数人の男子生徒が事の成り行きを見守っていた。その顔はどれもニヤニヤとしている。
「おっと!!」
洋平ははっと我に返ると、
「んじゃ、先生ッ!!また明日ッ!!」
と言うと、建物の中へと消えて行った。
「…ったく…。…と言うか、さっきのやり取りを、他の生徒にも見られていたじゃないか…!!」
引間は暫く呆然としていたが、不意にニヤリと笑った。
「…浜…、…洋平…」
丸い眼鏡の奥の瞳がギラリと光る。それまでの爽やかな、おどおどしたのが一転、禍々しいオーラを放っている。
「…あいつが…、…ターボレンジャー…」
その目がいつの間にか、真っ赤に光っている。
「…あいつが…、…暴魔百族の敵…。…妖精の力を手に入れた若者…。…ククク…!!」
口元に不気味な笑みが広がる。そして、真っ赤な舌で舌舐めずりをした。
「…あいつを…、…いただくとするか…!!」
その外見が禍々しいものへと変貌して行く。
「…オレの本当の名前は淫魔。暴魔獣ゴクアクボーマだった炎魔と氷魔の弟。…オレの妖魔力であいつを抜け出せない快楽地獄へ引き摺り込み、骨抜きにしてくれるッ!!そしてッ、兄貴達の仇ッ、この手で取ってくれるわ!!」
そう言った時、淫魔の姿は再び、引間と言う人間の姿に戻っていたのだった。